かねがね、マスコミの呼称は「マスゴミ」、要するにゴミであり、地方自治体の為政者はアホと言いきっていますが、霞が関にある厚生労働省の本省の方々には敬意を示しています、僕。彼ら、キャリア組の方々は解っています。ゴミとアホがテレビに出たがり、大衆社会のマイナス面ばかり目立ったこの2年間、厚生労働省のキャリアたちは巨視的に俯瞰視し、国内の雑魚相手の業務も粛々とこなしています。アタマが下がります。志をもって入局する官僚がまだ日本にいることこそ、日本文化の良き継承にほかなりません。
さて、少しずつ発信されてきた「日本におけるコロナの出口戦略」、つまりどうやってコロナ騒ぎを終わらせるか。感染の終息ではなく、騒ぎの終息です。始まりから「まんじゅう怖い」に書いているとおり、欧米はガンガン死ぬけど日本ではただの風邪であり、コロナ騒ぎはコロコロコミックスにアーガイプされるべき運命を最初から背負っています。問題はただゴミとアホをどうするか、だけ。
他国と異なり、日本はなんでも白黒つけるのを嫌がり、なんとなく雰囲気に追従するのがトレードマークです。「コロナは実はただの風邪だ」という雰囲気を徐々に受容してもらうのとは別に、厚生労働省の本省が今年の4月から運用しようとしているのが「PCRの限界」という戦略で、ヤリ過ぎてアタマの中がPCR中毒になっている国民に、そろそろPCRの理屈が限界に来ているのでPCR検査を縮小する段取りです。
これの利点は元来、PCRの理屈を理解している国民は0.005%いればイイほうで、PCRは理論的にもう無理がある、とオカミが言えばゴミとアホは逆らう理論武装がないから、なんとなくそうかいな、で終わらせるという手法です。
韓国映画に「殺人の追憶」ってのがあり、観たことがある方は記憶していると思いますが、犯人の精液からDNAを割り出し証拠とするってのがPCRの初期の応用技術です。また、イングランドの王家の子孫が自分の血統を証明するため500年前の王様の遺髪を墓場の棺桶から採取してDNAを分析するのも然り。端折って言えばPCRの精度を上げれば「分析は出来る」けれど「いつのか判らない履歴」をも反映しちゃうってことです。
そもそも、RNA型のウイルスは突然変異しやすいから未だ抗体検査の手法が開発されず(発明できたら即ノーベル賞です)、今回の新型コロナもさすがにこんくらい変異してきたら、PCRで「いつの変異株」にもちろん「いつ感染したか」は判別不可能。
あくまで、人体の遺伝子の一部を増幅してその配列パターンを見るのがPCR検査。こんだけヤリ過ぎるとみんな理解不能。