古代ギリシャに発した西洋民主主義の限界が訪れています。ローマ時代の平和な時期に、戦争の代わりという合理的な統治目的で創作されたオリンピックも、商業イベントに姿を変えて久しい。
東洋では単なる「風邪」を誇張し、コロナ禍と煽動して健康体を蝕んだマスメディアの罪は大きい。いかに上書きして攪乱と欲望に染め抜こうとしても限界点はある。
欧米、いや白色人種たちの失意や哀れみを、憂う資格を我々は有していない。もはや生命と自然に我々日本人は敬虔ではなくなり、ただただ無気力を崇拝する無個性な個体に退化しています。
サービス業の25%は消滅し、建築不況は赤字国債をさらに300兆円つぎ込んでも成長には至らない。そんな事後処理ももちろん過誤できないけれど、願わくば没落していく西洋を横目に、古(いにしえ)の東洋、常に太陽は東から登ると崇められていたオリエントの意志が、新国立競技場を神宮の森と湖に戻す人知に溶け込むのを望む。