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見知らぬ他人に、大衆は配慮し何か自分を犠牲にするだろうか

ロイトは、ユダヤ人であるのにも関わらず「汝の隣人を愛せ」とか「汝の敵を愛せ」というキリスト教を中心に、人類愛を唱えるいかなるテーゼも「嘘だ」と100%否定しました。「汝の隣人を愛せ」の延長線上に作られた民主主義も単なる幻想であるとコテンパに断じ、その最大の根拠は「大衆」にあると語りつくしています。

大衆は身近な知人に対してだけしか配慮できず、見知らずの他者に対しては時に攻撃的になり権力を得た気分になる。

これを継いで、現代の売れっ子であるマルクス・ガブリエルはインタネット時代のSNSを、民主主義を破滅に追い込む時限爆弾であると予見しています。インタネットの普及当初は身近な家族や知人とのやり取りにメールが使われ、今でも災害時の知人の安否確認とかにはSNSは貢献しています。

しかし、SNSがFacebook以降、プライバシーや匿名性が混在し大衆も使える段になると、実在もせず根拠もない発信に「いいね」が殺到したり、Youtuberはノンフィクション、つまり虚像にスパイスを加えることに血眼(ちまなこ)になってヒーロー気分でいます。

加えて堕落したメディアは自己防衛と生き抜くために大衆から「コメンテーター」とモラルのない司会者を選び、彼らは権力を得たものと幻想し次いで権力を行使します。右に習った大衆は再びSNS上で同じように見知らぬ他者に攻撃を繰り返します。

僕は今年1月末からこの新型コロナウイルス騒ぎをコロコロコミックスと揶揄しています。最近はコロコロコメディーとも表現していますが、人間は高見の見物ほど心落ち着くものはない。日本の新型コロナウイルスによる死者数が欧米に比べ格段に低いことをもって、日本の大衆は安心したうえでSNSの狂乱に乱舞されています。

民主主義のモデクラシーから派生したデマゴーグ(今で言う大衆煽動的なフェイクニュース)が民主主義の脆弱性を露呈し、孤立を恐れる大衆はいずれ従うべきは自由ではなく、崇拝する皇帝を探し始めるのではないでしょうか。

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